自分の生きづらさを向き合っている最中ですが、想像を絶する痛みがあります。
私はADHDの診断がおりていて、ASD気質もあります。(ASDの検査は受けてません)
この記事を誰かの人格や人生を変えるために届けるわけではありません。
息抜きであったり、暇だけど暇な時間を作りたくない時に無理なく更新したいと思っています。
誰かを否定するでもなく、ただ自分の事実をここに書き留めていこうと思います。
躁にならない程度に。
人を無自覚に傷つける生きづらさ
私が双極性障害になったのは、本業や副業のやりすぎだけでなく、人との心地よい関わり方が理解できていなかったことが大きいと思います。
最近になって急に、人がどう感じるのかを想像できるようになったり、今まで人が離れていった理由が見えてきたりしました。
過去を思い返すほど、当時は無自覚だった「自分の嫌いなところ」が見えてきて辛いのです。
「発達障害30歳成人説」これの信憑性をあげる証人の1人になった気分です。
私は双極性障害の鬱で寝込み、失業しました。
そこから、自分と向き合う時間が長くなり、自分が変わらなければならないことと嫌というほど関わってきました。
段々と自分をメタ的にみるようになって、自分自身の嫌いなところが見えるようになる。
一方で、人に何かを言われた時に感じる嫌悪感の正体も言語化できるようになりました。
私は価値観を押し付けられるのが嫌いだった、一方で自分は押し付けていた
これが私の生きづらさに大きく影響していたことだと最近気づきました。
これまでのブログや仮想通貨の活動だってそうです。
私は価値観の押し付けをしていました。
発達障害の影響かはわからないですが、私には反抗期がありませんでした。
私が思うに、反抗期がなかったために自他の境界線が曖昧なまま生きてきてしまったのではないか?と最近感じています。
親は私に反抗期がなかったことを自慢のように語ることが度々ありますが、反抗期は必要なものだと思います。
…続きはまたやる気が出た時に。

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